池江璃花子が人生の記念日にジムで再始動

先日、NHKで放映されたスペシャル、再起へ向けての日々の記録番組が放映された。抜きん出た実力で国民の期待を背負っていた池江選手が、一転して選手生命の危機へ、池江さんが「死にたい」とまで漏らした過酷な闘病生活。そして、ひた向きなリハビリで、ジムトレ、終には水の中でのトレーニングまで・・400日の記録。

ちょうどあの日から1年、池江璃花子本人自らそれを記念日と言う強さ

あの、衝撃のニュースに日本中が悲しんだ2月。池江選手が白血病とわかってから、まさにちょうど1年後の日
ここでも、持ち前の明るさと笑顔で、今日は記念日と言い放った。

「死んだほうがいい」と考えるほど追い込まれた闘病生活。病院で同じように病気と闘う患者仲間の存在は、苦しい治療に向き合ううえで、池江さんの大きな支えになりました。

入院中に出会った同じ苦しみを分かち合える友人

闘病生活は10ヶ月にも及んだ。薬の副作用で髪の毛も抜け、激しい嘔吐、連日のように40度を越える熱・・
恐ろしくも過酷な状況です。

池江選手の心の支えであり同じ苦しみを背負った吉田麻里さん

池江選手「初めて家族だったり、周りの人とは共有できない自分のつらさを共有できて
すごい心が楽になったというか、自分一人じゃなかったんだ。」

途中、闘病中にお互いに励ましあって、心を許しあえた池江選手の大切お友達が
入院中の池江選手の様子を話してくれました。
落ち込むことも、よくあって二人して泣いて終わることも・・
池江選手「本当にしんどいときに麻里ちゃんがいたから麻里ちゃんもつらいし頑張っているから自分も頑張らなきゃっていう。
そういう、お互いを高めあうような関係でしたね。」
吉田麻里さん「皆さんには明るいイメージ強いイメージがあると思うんですけど。ちょっと落ち込むこともよくあって。
でも これだけつらいことがあったらこれから何でも乗り越えられるとか ずっと話してました。」
吉田麻里さんは、再生不良性貧血という難病と闘っています。
ただ、吉田麻里さんが、芸能人なんだろうか?と思うほど
あまりに可愛いのでネットがざわついてます・・
池江璃花子選手が強く共感する歌

退院後のトレーニングにも苦しむ池江選手

そして、2019/12/17には自らの書面で退院を発表。
その、中には、2024年のパリ五輪出場。メダル獲得という目標で頑張っていきたいと綴られていた。

退院後は、週に二回の自宅トレーニングからの再始動。以前は、57キロあった体重も10キロ以上やせ
当時のみるかげはなかった。かつては腰にオモリまで付けてやっていた懸垂も1回も出来ない・・

しかしながら、自宅でうんていが出来るなんてすごいお家です。さすがに小さいときから英才教育されてる
お家だと思いました。

トレーニング中、現役の時は、出来ていたと思わず、口から出てしまう池江選手、本人曰く、一年も泳いでないと
そうなっちゃう。


ただ、メリットしては、以前よりも、オシャレが出来るように。
足が細くなったお陰で似合うズボンが増えたとよろこぶ池江選手
しばしのオシャレ期間がうれしそうです。

病気になって知らなかった自分に多々気づく日々

日本記録を出してそれで「池江また日本新」みたいにかかれるのがすごい嫌で・・
自分も皆と一緒で結果が出ないときもあるし
そんなに毎回記録期待しないでほしいというのが正直あって

池江「病気になって自分がいままで思ってなかった事とか
言えなかったこともどんどん出てきたり
自分の本音ってこうなんだって
自分でびっくりすることや
病気になるといろいろ変わるんだなと思いました。」

やはり生まれたのも水中出産、物心つくまえ、水泳をはじめたのはなんと3歳の時。
水泳をしてきた池江選手にとっては、これだけ水に入らない生活は今回が初めての体験。
池江「ひとことで言えば暇。今まで水泳やってる時は合宿も行ってたし
合宿なくても 朝練 午後練でずっと水泳だけの生活だったんで
今はとにかく家出映画を見るか トレーニングするか 友達とちょっと遊ぶくらいしかないので
そこに水泳が全く外れちゃってるんで ちょっと物足りない 自分の生活に・・」

今まで当たり前だったことがそうではなかった
周りへの思いが格段に強く感じているのがひしひしと伝わる

ようやく医師の許可が出て
コーチにも無理をせずにと注意されながら
顔に水を付けない条件でのプール

超久々のプールによろこび満載の池江選手
最初はビート板を使って、そして背泳ぎと
素人目に見ても泳ぎが美しい、とても滑らか
見てる周りも嬉しくなるほど実に気持ちよさげ、楽しげ

最後には、ビート板を使った25mのタイムアタックまで見せてくれました。